紀州国巡り:和歌山県伊都郡高野町
カテゴリ: 旅日記 / テーマ: 国内、史跡・名勝巡り / ジャンル: 旅行
毎年恒例、冬場は雪を見に出掛けようという催しがあって。
2003年は京都の舞鶴で、2004年は高野山に決定いたしました。

真言宗の聖地・高野山。
高野山って言えば、お坊さんとかのイメージ。
明治5年まで女人禁制の地だったらしいですから。
今は女性の入山を拒むような事は一切なし、普通に人が生活してるしね。





【旅工程】
南海高野山駅→女人堂→金剛峰寺→壇上伽藍→大門→奥の院

旅を始めたばかりの頃の記事なので、物足りない部分も多いかと思いますが、
その辺はどうか、眼をつぶってやってくださるとありがたいです(^^;)>



私、遅刻しました(爆)
9時半頃に、難波のロケット広場で待ち合わすことにしてたのに。
予定よりも30分ほど遅れて、南海高野線に乗り込み、出発する事1時間半。
南海極楽橋駅からケーブルカーに乗り継いで、高野山駅到着。
まだまだ雪の残る、バレンタインデーの日でした。

日本海側程ではないですが、樹氷が見れるほどでもないですが、雪が残ってました。
旅の目的はなんですよ。
2人で雪を見に行こう!って何かしら計画を立てて、2003年は舞鶴へ行きました。
プチ旅行と題されたこれは、何気に楽しみな計画だったりします(^^)
まあ、舞鶴ほどの豪雪ではなかったのがちょっと残念だったものの、
それでも雪の残る地面は完全にアイスバーンで、何度か滑りました。

相方に、「バレンタインを私と過ごしてよかったんかー?」って聞いたら、

「彼氏は仕事だし、アタシはアンチバレンタイン派だしっ!!」

……とか言われてしまった(笑)

じゃあ今日は私と一緒に楽しいバレンタインを過ごそうではないか〜と、
冗談を言いながらバスに。10分ほど山道を揺られながら(ものっすごいカーブ)、
高野山最初の史跡・女人堂へ。



最初の目的地「女人堂」。
こちらには小杉明神が祭られているというお堂です。
高野山は明治5年まで、女の人は高野山には入れませんでした。
小杉明神は、実際にこの女人堂を建てられた人なんです。
弘法大師にあやかりたい女性が、女人堂を訪れて弁天岳を越えたと言われてます。
どうやら大門という史跡に続いているらしいですよ……ワクワク。

その女人堂を建てた、"小杉"という人について、こんな話があります。


越後の国の本宿にある紀伊国屋に小杉という器量のいい女性が居ました。
ある日、自筆の小屏風が植松親正というお代官様の目に留まり、
めでたくその息子と小杉さんは結婚する事になりました。

さてさて、この息子である植松信房とめでたく結婚する事になった小杉さんですが、
息子を溺愛する継母は息子に嫁ができると聞くや否や、激しく嫉妬心を抱くのです。

継母は小杉さんにあらぬ疑いをかけ、それを自分の旦那、親正に打ち明けます。
継母が何を言ったのか分かりませんが、それを聞いた親正は大激怒。
許しを請う小杉さんの両手を切り落とし、谷底へ突き落としてしまうのです。

谷底に落ちた彼女を救ったのはなんとクマ夫婦!
クマ夫婦によって、小杉さんは命を取りとめることができたのです。
両腕を失くし、谷底まで落とされた小杉さんは奇跡的に命を取り止めましたが、
両手を失くしてますので、何かと不自由です。
しかしクマ夫婦に教えてもらったんでしょうね、たくましく生きる方法を!
夫婦とともに畑を荒らして食べ物を求めるようになりました……。
とにかく生きなくては、と思ったんでしょう。

ある日その畑を荒らすクマたちを成敗しようと、代官が腰を上げました。
きっと色々苦情が来てたんでしょう。
その代官様とは、小杉さんの婚約者であった植松信房だったのです!
哀れな小杉さんと奇跡的な再会を果たしました。
しかし、信房は何をしてたんでしょうねえ……両親に頭が上がらなかったのか……。
信房は小杉さんを保護、すぐさま婚礼を挙げます。
ようやく待ちに待った小杉さんの幸せが訪れるのです。
長男も生まれ、もう幸せの絶頂期です、ありがとうございます、弘法大師様!!

しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした……。
あの継母がまた嫉妬して小杉さんをいびるのです。
以前と同じ手は使えません、さあどうしたものか!
継母は考えて考えまくった策略で、小杉さんと信房を離れ離れにしてしまいます。
(この継母、孫は可愛くなかったんでしょうかね)
しかも悪い事は続き、小杉さんは信州で山賊に襲われて、最愛の息子を失います。

絶望的になった小杉さんは高野山へ。
……しかし、高野山は女人禁制の地、入れてもらえません。
小杉さんは息子を育てるために貯めたお金で女性のための参籠所を
不動坂口に建てました。
それが女人堂です。そこを訪れる女性の為に、心からの接待をされたとのことです。



……という、現代の昼ドラ顔負けのストーリーが昔からあったそうなのですよ。
この話は真実なのかどうか、信じるのは人それぞれですが……
クマ夫婦はちょっと考え物ですが、
きっと昔はそんな奇跡が当たり前だったんですよ……。



さて、それでは高野山に入山いたしますかね。
立派な門を通り抜け、すっきりとした道路の真ん中をわざわざ歩く旅人2人(笑)
車はあまり通らないし、すごく気持ち良いんだもん。
(……んなこと言ってたら、弘法大師に怒られるよ)



◇◇◇




さて、高野山には代表的なものがいっぱいある。その中でも4つ挙げるとしたら、
金剛峯寺、大門、奥の院、霊宝館でないかなと私的に思うんですよ。



まずは金剛峯寺から。
高野山の宗教行政をするところで、まあ一言で言っちゃえば管理する場所ですよ。
でもちゃんと高野町町役場はあります、お役所ではないのです。

さて、金剛峰寺に入ったはいいんですが、金剛峰寺の本堂の写真を撮ってない。
普通は本堂の写真を撮るのですが、なぜか鐘楼を撮ってました……




大分外が暖かくなってたんで、雪はかなりアイスバーンだったんですが、
私はそれを早速かき集めて……例のアイスマンを作ります。
……それは観光地に来てするべきことではない(笑)

写真がない分、金剛峰寺がどんなだったかを説明するのは、難しく、
自分の記憶もまたあやふやなので、ちょっと割愛いたします、すいません。
大きな建物だったことは憶えてます、はい。
それよりもこの鐘楼と、少し先にある壇上伽藍という建物の方がよく憶えてます。
後からデジカメで撮った写真を確認のために眺めていたら、
なぜか金剛峰寺は門の所ばかり撮っていました。
私が映っていたり、相方が映っていたり。
普通本堂を撮るよなあ……と思いながら、2度目の訪問時に撮った
ファイルを眺めてたら……金剛峰寺の写真がひとつもなかった……(笑)
自分で高野山の代表的なもの!って4つ挙げときながらそりゃないだろう……。

さあ次、次。


2004年7月に高野山が世界遺産に認定されたばかりの頃、南海電車のCMで、
大門が映ってて、お坊さん役の人がこの大門から高野山に入山するというシーンが
あったのですが、あぁ、高野山の入り口ってここなんだーと、その時に納得。
私たちは女人堂方面から入ったんですけど、あれはバスの運行路なわけで、
実際の入り口じゃないんですね。
それがどういうことか、ってのはおいおい話すことにしまして……
とりあえず、壇上伽藍を横目に大門へ。

紀州山地が遠く見え始めた頃、段数の少ない階段を上った時に見た大門……





今まで見た風景の中で一番驚き、感動したのを覚えてます。
風が吹くと、背の高い杉並木が風に揺れて、ザワザワッて音が聞こえるんですよ。
凄く静かで(今までも確かに静かでしたが)ここだけが別世界に思えました。




さて、先に高野山の入り口はここではないか、という話をしました。
実は、この写真は道路の前から撮った大門。
この前を通る道を「高野山道路」という道で、日本の道100選にも選ばれています。
(プレートは何者かが盗んだらしく、手作りプレートが代わりにセットされてます)
高野山道路は勿論、高野山の麓まで続いているんだと思います。
確か、九度山町だったと思うのですが。
この門をくぐってずっと奥に入ると、弘法大師の祀られる奥の院に続くわけ。

女性はここから先に進むことができなかったので、この門側にある弁天岳を登って
女人堂に行き、奥の院へいったのであります。
勿論、奥の院の参拝もできなかったそうなので、山から奥の院の見える場所で、
弘法大師に祈ったんでしょうかね……。

ちなみに大門から高野山道路を挟んだ向こう側の柵の下を「高野山町石道」という
ハイキングコースが設けられてます。
ハイキングコースと言いましたが、れっきとした古道です。
これが隣の九度山町に続いているという事です、健脚向き。

そして、九度山町といえば、関ヶ原で西軍についた、真田昌幸と信繁(幸村)の
蟄居の地、真田庵があります。まだ行ったことがないので、それはまたいずれー。



◇◇◇




相方が「お腹すいてない?」と提案すると「空いた!」と即答する私。
よく見ると、時間もなかなかいい感じでお昼時。
じゃあ、どこかでご飯を食べてここからどうするかを決めようか!ということに。
もと来た道を引き返し(大門を名残惜しげに見つめながら(笑))、一件の食堂に。
さすが冬場、観光客も少ないためか、お店もそんなに人がいません。
静かな店内で、のんびりと昼食を取りながら、次の進路について談義。

行く前から特に、「あっち行こう、あれ見に行こう」っていうことをせず、
マップを見て、観光客らしき事を続けていた我々。
弘法大師や真言宗がどうだとかという事を目的で高野山に来たわけじゃなく、
ただ雪を見に来た、それだけの事でしたんで、雪も大分解けてしまった事だし……
どうしようか、という話になってしまいました。
ですが、折角来たんだから行ける所までいってみようか、という結論に達し、
奥の院を訪れる事に。奥の院は戦国武将たちの墓があるということで、
それだけでも見所はあるわけです。
(墓を見所にするっていうのもどうかと思いますけど……)
歴史人物が大好き(笑)な私は、信長や石田三成たちの墓を訪問できる事だけで、
ウキウキワクワク状態。
1人で勝手に心の中で盛り上がる始末であります。

 

んじゃ、16時頃下山したら、大阪には18時前には着くよね、と帰宅時間を決めて、
残り2時間程は高野山の最後の見所、奥の院へ突入することにしました。



てくてく歩く事10分、奥の院の入り口である一の橋に到着。
ここが奥の院の浄域との境目なんですって……その外は「不浄」ですかぁ?
霊魂とか、弘法大師様ってのは清浄なんだ、ふーん……。
……なんて、妙に負け惜しみで一の橋の説明文を眺める。
では、この奥の院のメインを眺めて行こうじゃないですか〜〜〜。
清浄なものを眺め歩こうじゃないですか〜〜〜←まだ負け惜しんでる

  


武田信玄・勝頼墓所

 

石田三成墓所


……ウキウキワクワクでお墓の写真を撮る私はまさに不浄だと思います(笑)

「おわー伊達家の墓だー」「豊臣家でっかーーー!」「信長ちっちゃーーー」
……墓場を前にそんな台詞普通は必要ないんですけど……!



豊臣家墓所(史跡)



織田信長墓所



浅野内匠頭墓所


本来の墓はちゃんとあるみたいなんですけど……これって分骨なのかしらねぇ……。

墓場って、背筋が凍るような、いやーな感じがあるんですけども、
ここはそうでもなかったです。
(真昼間っていうのも理由になるかもしれませんけど……)
ホラーやスプラッターっていうのが嫌いな我々(特に相方)は、
むしろこの墓場の道を良く感じ、また風に揺れる木の音を心地よく思いながら、
奥へと足を進めて行ったのでした。


ちなみに、一の橋から中の橋までの間に、上杉謙信、明智光秀、石田三成、
武田信玄・勝頼のお墓があります。
中の橋から御廟橋の間に、織田信長のお墓があります。
御廟橋以降は写真撮影が禁止されているので、そこ以降にある春日局のお墓は、
残念ながら撮影不可。

せっかくなので御廟も入ることにしました。
薄暗い中に、蝋燭の火がいっぱいあって、お坊さんがお経を読んでいました。
四国霊場や西国霊場をお参りした人がここに札を提出するみたいで……
いっぱいお遍路さんもいましたよ。いつかは私もあの格好で四国を歩きたいなーと
思ってみたりもします。昔はあの格好での参拝に抵抗がありましたけど、
つい最近、徳島をドライブしていた時に、お遍路さんを見かけまして、
その姿がものっそ格好よかった(笑)

とはいえ、お遍路さんに身を投じる時は、日本中の見たい史跡を巡り倒した後かな。



2004年2月に訪れた時には「高野山を世界遺産に!」という幟やや看板で
いっぱいだったのが、本当に世界遺産に認定されてしまって正直驚いてます。

もっともっと、相方と歩いていっぱい話をしたのですが、いっぱいありすぎて、
書ききれませんでした。大師教会って所に、お釈迦様の手の椅子があったり、
女人堂から金剛峰寺の間に、真田幸村ゆかりの宿坊・蓮華定院もありましたし、
日蓮の住居跡とか……もっともっと歴史人物ゆかりのエピソードが転がってそうな
そんなお話もあったはずなんですけど……書ききれませんでした(^^;)

思ったよりも狭いんです、高野山って。
そんな小さな場所に、見所がぎゅっと詰まってます!
見に行っても絶対損はない、私はそう思うんですが。
(2008年今日まで、3回も行ってます(笑)後2回は行きそうです(笑))
仏像やら宗教やら、全く興味のなかった私でしたが、
やっぱ仏像を見ると心が洗われます。とっても楽しい旅でした。
Edit / 2008.07.06 / Comment: 0 / TrackBack: 0 / PageTop↑
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プロフィール

星雁

Author:星雁
「本能寺の変」が起こった
6月2日に生まれた歴史スキー。
基本、時代に関しては雑食。
史跡を巡る旅が今のところ
一番のお気に入り。

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Photo:
直江兼続本陣跡から長谷堂城跡を望む。
(山形県山形市)

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