随分と長引いてしまったので、ここから一気に巻き返していきましょう。
一ノ谷古戦場巡り(一)はこちら。敦盛塚〜旗振山まで。一ノ谷古戦場巡り(二)はこちら。鉄拐山〜安徳宮まで。


古戦場巡りも、大詰めです。
最後の山場、「須磨寺」に詣でる為、国道2号を大阪方面へ。
結構足がだるくなってきました……あまり休憩という休憩をしてないから……。
何か、一気に進んでしまおうって、いつも考えるから、今までの歩き旅でもそうですが、
10キロ以上歩いた事があまりないです。歩きたいけど、足の裏が痛くて痛くて。
一人旅だから、他の人にペースを合わせることもないので……いかんいかん。
須磨寺の案内に沿って歩くと、山陽電車須磨寺駅に到着。
ここに、「平重衝とらわれの松」という石碑があります。須磨寺駅の改札のすぐ側。

【平重衡とらわれの松跡】
寿永三年(1184年)2月7日源平合戦の時、生田の森から副大将・平重衡は
須磨まで逃れてきたが、源氏の捕虜となり、土地の人が哀れに思い、
名物の濁酒をすすめたところ、重衡はたいそう喜んで、
「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨でのむこと 濁酒なれ」
の一首を詠んだ。後に鎌倉に送られ処刑された。
(案内板より)
さて。地図を片手にテクテク歩く私は、ふらふらと須磨寺を目指し歩いていました。
お腹も空いてきました。おやつが食べたいところです。
しかしここで何かを食べてしまうと、おいしい晩御飯にありつけないじゃないか!と、
必死で「敦盛団子」の誘惑から逃れようとしておりました(笑)(何、あの幟)
平重衡は、平清盛の五男。
源平合戦の折、東大寺などの焼き討ちをしてしまった人で有名ですね。
この焼き討ちで、南都(奈良)の僧の憎しみをかいました。
須磨で捕らわれた後、鎌倉に護送されますが、持ち前の器量のよさに頼朝が感服し、
厚遇されたと言われます。
その後、彼を憎む南都の僧たちに引き渡され、鎌倉を出立。
木津川畔(京都)にて、斬首となりました、享年29。
鎌倉から木津川へと護送される途中にある日野(東京都)で、「妻に会いたい」と願い、
それが聞き入られた重衡は、妻の輔子と最後の別れをしたという哀話があります。
垂れ下がった前髪を、噛み千切ってそれを遺髪として輔子に渡したとのこと。
大河ドラマ「義経」でも、重衡と輔子の哀話の部分は放送されていましたが、
あのドラマの中の5本指に入る名シーンでした(笑)
ちなみにどうでもいいですが、好きな名シーンは、
・静御前の鶴岡八幡宮での舞の前後
・源頼政の平等院のシーン
・佐藤忠信が静御前を取り戻そうと、静を護送する一行に襲い掛かるところ
・源頼朝と亀の前のシーン全部(笑)←二人が可愛すぎる
・平重衡と輔子夫婦の最期の別れ
好きなシーンの中に、義経が入っていないという、この体たらく!(笑)
話がかなり脱線してしまいました。さあ、須磨寺に行きましょうか。

須磨寺。幾度も火災の被害にあっていますが、今現在の本堂は、豊臣秀頼による再建。
家康の「豊臣家の財産を使い切ってやれ」という思惑によるもので、
秀頼は須磨寺をはじめ、京都や大坂などの寺社の再建を多数行っています。
その中に、大坂の陣の原因となった「方広寺」も含まれてます。

源平の庭。
一ノ谷の合戦で最も有名な、平敦盛と熊谷直実の一騎打ちを表した庭です。

平敦盛。

熊谷直実。
この二人の哀話については、ご存知の方も多いでしょうね。
簡単にお話しすると、
義経の逆落としによって、平家は皆散り散りに逃れていきます。
多くの人が、船のある海の方へ向かってゆくのですが、それを追いかけていた直実が、
海に馬を泳がせて逃げる敦盛を見つけます。
「背中を見せるとは卑怯者、こっちを向け!」
と声を掛けると、敦盛は勇敢にも馬の首を取って返し、直実に立ち向かったそうです。
双方とも落馬し、取っ組み合いになりましたが、結局直実に軍配が上がります。
直実が敵の兜を剥ぎ取ると、そこには色白の美少年。
直実は少年に名を問いますが、少年は名乗らず、代わりに直実に名を問います。
「良い名前だ、私の名は誰かに聞けば知っているものも居るだろう。
さあ、私の首を討て」
と潔く首を差し出したと。
直実は躊躇いましたが、味方がこちらにやって来ているのをみて、やむを得ず、
涙ながらに敦盛の首を落とした、というお話です。
敦盛生存説については、第1回の時にお話しているので、カットしますね。
さて、須磨寺には有名な青葉の笛と、敦盛の像があります。

敦盛像。

青葉の笛。
写真では分かりづらいのですが、二本あります。
太い方が青葉の笛で、細い方は高麗笛だそうです。
一ノ谷の戦いの折、敦盛は青葉の笛の音色を、一ノ谷に響かせていたそうです。
……というわけで、「須磨一ノ谷古戦場巡り編」いかがでしたでしょうか。
淡路島から近く、いつでも来れるということでなかなか行かなかったのですが、
なかなか見ごたえのある楽しい旅でありました。
神戸といえば、横浜同様、異人館など明治時代の色が濃い場所ですが
少し掘り下げてみれば、平安時代や戦国時代や江戸時代も何かありそうです。
今後、色々と掘り下げて訪ねてみたいと思っています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。